No.11 (Feb. 24th, – Mar. 6th, 2019) Last

 お疲れ様でした。このカメラでの日記は終わりです。新宿で一番安いローライフレックスで日記でもやってみようという企画(?)でしたが、ピントルーペが折れて、案外早く終わってしまった。 てかフィルム高すぎる!フィルムしかやってない方は大変だなと思う期間でした。この期間は色々テストしていたので、公開していないフィルムがたくさんある。金かかったよ…… 僕が写真始めた時よりもかなり高くなってるので、企業側が採算合わなくなってきたのはここ10年くらいなのかな。面白いのは、商業でフィルムの写真が大量に使われだしたのもここ10年の話で、よくわからない反比例を起こしていること。無くなりつつあるものに、たくさんの人がノスタルジーを感じだしたのかね。 90年代中頃に、元木みゆきやHIROMIX、長島有里枝から始まったと思われるガーリーフォトの作品は、(現在では使い古された言葉だけれども)日常を異化する、または普段は見せないような行動や習慣を露出することに重きが置かれていたように思う。それが現在では、本当にいつもの日常を羅列することで何も異化しないこと、もしくはすでに他の写真作品によって異化され、人々にとって見慣れた光景と化している写真を混ぜ込むような作風が、90年代生まれの商業志向の作家の傾向として挙げられるのではないかな。HIROMIXの光など見ていると、具体名は出さないけれど、似ている作品が現在では商業利用されていたりする。であればHIROMIXを起用すべきだと思うのだけれど、日本ではそれがされていないのは不思議なことよね。なんか色々あるんだろうね。知らんけど(笑 まずい、長くなりそう…… そろそろ私感に移ろうかな。 古いカメラは楽しいということが、趣味の範疇で一番感じたこと。物として今のデザインと違うし、使い方も違う。カメラを持ってると散歩が楽しくなるっていう感覚は、いちカメラ好きとして理解できるところがある。ただし、作品を作る上で機材を選ぶこととはだいぶかけ離れた感覚であることは間違いない。Instagramでよく見るすべてがブーストされた写真や、さっき言っていたガーリーフォト風の写真などは、作品というより趣味の範疇に留まってしまっているのが現状だと思うし。正直僕は今挙げたような界隈にはいないから、あまり気にする必要はないんだけれど、日本ではどうしても避けて通れないところだと思うので、せっかくフィルム使って普通に写真を撮っていたので少し書いてみてた。 もういいかな、あんまり私感じゃないけど(笑 ちょっと長すぎるので、この辺で打ち切りで。しばらくは、のんびりデジタルで日記やるので、引き続きよろしくお願いします。 ではこれにて、1936年製Rolleiflexとはおさらばです。ありがとうございました。 ...

No.10 (Feb. 20th, – 24th, 2019)

 久しぶりに寝付けないので、後回しにしていたことをやる。後回しにするくらいだから大したことではなくて、このフィルムのスキャンや、最近撮った写真の整理、部屋の片付けといった雑用が多い。言いかえれば、風呂敷広げてそのまま放置してあるものを回収するくらいのものである。 一部真っ赤だな。何かあったのか。 時間が経つのが本当に早くなってきた。30歳超えたら、一昔前であれば折り返し地点みたいなものだった訳でしょう。あと2年くらいは頑張りたいものである。それまでもつかなあ。なんとかしないとなあ。 ...

No.8 (Feb. 14th – 17th, 2019)

 ずいぶん時間が空いたのは、3月にやったU.N.I.T.展の準備や在廊でバタバタしていたのもあるけれど、そのタイミングで1日1枚というルールを破ってしまったことが大きいです、反省です。そんな僕のモチベーションを悟ったかのように、カメラのピント合わせ用のルーペが折れてしまった。残ったのは、この投稿を含め4本のフィルム。それでこの話は終わりになります。 次はどうしようか。また安いカメラでも探してみるか。それともこの日記用のハッセルブラッドのフィルムホルダーを買うか。この辺りは、最後のフィルムを投稿する時まで考えて、最後に決める。今考えてるのは、やっぱり中判がいいということ。12枚撮りというのは、1つの記事として丁度良い。ただ、大きいカメラを毎回持ち出すことが億劫になるよりも、小さいカメラならポケットにでも入れて出かけるかなと思うと、35mmでもいい気がしてる。 やっぱり僕は、日常的に写真を撮らないんだよな。こういうことをやって気づく。 ...

No.7 (Feb. 12th – 14th, 2019)

 ソフィ・カルの限局性激痛を原美術館で見てきた。あまりにも有名な言葉と写真を使った作品だが、全編見る機会は僕にとっては初めてであったので、好きな類の作品ではないのだが、ある程度楽しみにしていた。 第二部は自らの不幸を語る代わりに、他人の不幸を聞かせてもらうという形式で作られている。この人はいつもそうだが、自分は他人よりも不幸ではないという比較によって解決する構造を使っているわけだ。何事も、一人で解決しようとしない。 それはある意味で、未知の感情を理解しようという試みであるし、誰かのことを理解できないという諦念から前進しようという試みである。しかし、どうしてもそれらの行為が孕む暴力性に嫌悪感を抱かずにはいられない。 没入しようとすればするほど、文字が黒くなっていけばいくほど、このあっさりとした忘却による解決に頭が痛くなる。あなたはこれほど簡単に、外に出すことで内に何も残さないことを達成してしまうのか。 ...

No.5 (Feb. 6th – 7th, 2019)

 同じ形の光線漏れが続くから、ラボの方に話を聞くと、裏蓋から漏れているのではということだった。これを直すべきなのか、直さないべきなのか。直すのは簡単だけれど、モルトを貼って終わりにしてしまっていいのか。 フィルムはやはり、感情が入りすぎる。僕がやることではない。より真摯に感情と向き合える人が使うべきだと心底思う。このカメラで、作品撮りは出来ない。このやり直しのきかない記録は、戒めとしてこのまま続けていくべきなのだろう。 ...

No.4 (Feb. 2nd, – 6th, 2019)

 このフィルムは、本当に脈絡がない。5日分であったり、仕事で出会った人たちを撮っていたり、いつも通りの写真が混ざっているからか。そういえば、iPhoneのカメラロールって、このシーケンスに近い気もする。こうやって公開することを前提としているから、余計なことをしていなかったり、見せたらいけないものは撮らないでいるが。 いつも露出計を持っていて、光量を測ってから撮影しているのだけれど、測光せずに撮った写真の露出の方が普段の写真に近い気がしている。この中にも何枚か測っていないもの(曖昧な記憶だが)があるが、そういった写真の方が想定していた結果に近い。まだ露出計に慣れていないせいもあるだろうから、光が読めない場合は頼りつつ、機械的な数値と経験的な数値を近づけていくようにする。 そして、このカメラのおかげでやりたいことが見つかった。それをするために、この作業に1日か2日ブランクが空く可能性がある。もしくはもう1台、使い勝手の良いローライフレックスを探す。明日仕事が終わり次第、ラボに行って相談をしなければ。 ...

No.2 (Jan. 31st, 2019)

 ブローニーを即日現像してくださる写真屋さんを下北沢で見つけた。家から近いこともあり、この仕事に関しては全てお願いすることする。自分がひたすらに同じことを続けるのに、現像を頼むラボが毎回違うのはどこか違和感がある。 大学生の頃はよく遊びに行っていた街に通うことになるので、よく行っていた喫茶店でも、また行こうかと思う。7、8年前とは随分変わったが、駅の工事もまだしばらく続くだろうし、僕がこの写真を続けている間はある程度変化の過程を記録できるのではないかと思う。 しかし、2本目、ミスがひどい。1本目がきっちり写っていて安心したのか……被っていたり、多重露光であったり、素人のようである。まあこれも、デジタルでは味わえないので、楽しめればいいかなと思ってはいる。ただ、もし作品撮りで使うのであれば、分かってはいたが、三脚が必要だ。 展示のためのホームページ、DMの作成が昨日ようやく終わり、今日から告知とプリント製作が始まる。今日はこれからラボでプリント、マットについて相談をし、ガーディアンガーデンでトークイベントを聞きつつ告知をしてきます。 それと、タイトルは   No.x [フィルムの数] (撮影日)になっていて、ホームページにアップロードした日付はタイトルの上に表示されるようにしたので、追記しておく。 ...