No.8 (Feb. 14th – 17th, 2019)

 ずいぶん時間が空いたのは、3月にやったU.N.I.T.展の準備や在廊でバタバタしていたのもあるけれど、そのタイミングで1日1枚というルールを破ってしまったことが大きいです、反省です。そんな僕のモチベーションを悟ったかのように、カメラのピント合わせ用のルーペが折れてしまった。残ったのは、この投稿を含め4本のフィルム。それでこの話は終わりになります。 次はどうしようか。また安いカメラでも探してみるか。それともこの日記用のハッセルブラッドのフィルムホルダーを買うか。この辺りは、最後のフィルムを投稿する時まで考えて、最後に決める。今考えてるのは、やっぱり中判がいいということ。12枚撮りというのは、1つの記事として丁度良い。ただ、大きカメラを毎回持ち出すことが億劫になるよりも、小さいカメラならポケットにでも入れて出かけるかなと思うと、35mmでもいい気がしてる。 やっぱり僕は、日常的に写真を撮らないんだよな。こういうことをやって気づく。 ...

No.7 (Feb. 12th – 14th, 2019)

 ソフィ・カルの限局性激痛を原美術館で見てきた。あまりにも有名な言葉と写真を使った作品だが、全編見る機会は僕にとっては初めてであったので、好きな類の作品ではないのだが、ある程度楽しみにしていた。 第二部は自らの不幸を語る代わりに、他人の不幸を聞かせてもらうという形式で作られている。この人はいつもそうだが、自分は他人よりも不幸ではないという比較によって解決する構造を使っているわけだ。何事も、一人で解決しようとしない。 それはある意味で、未知の感情を理解しようという試みであるし、誰かのことを理解できないという諦念から前進しようという試みである。しかし、どうしてもそれらの行為が孕む暴力性に嫌悪感を抱かずにはいられない。 没入しようとすればするほど、文字が黒くなっていけばいくほど、このあっさりとした忘却による解決に頭が痛くなる。あなたはこれほど簡単に、外に出すことで内に何も残さないことを達成してしまうのか。 ...

No.5 (Feb. 6th – 7th, 2019)

 同じ形の光線漏れが続くから、ラボの方に話を聞くと、裏蓋から漏れているのではということだった。これを直すべきなのか、直さないべきなのか。直すのは簡単だけれど、モルトを貼って終わりにしてしまっていいのか。 フィルムはやはり、感情が入りすぎる。僕がやることではない。より真摯に感情と向き合える人が使うべきだと心底思う。このカメラで、作品撮りは出来ない。このやり直しのきかない記録は、戒めとしてこのまま続けていくべきなのだろう。 ...

No.4 (Feb. 2nd, – 6th, 2019)

 このフィルムは、本当に脈絡がない。5日分であったり、仕事で出会った人たちを撮っていたり、いつも通りの写真が混ざっているからか。そういえば、iPhoneのカメラロールって、このシーケンスに近い気もする。こうやって公開することを前提としているから、余計なことをしていなかったり、見せたらいけないものは撮らないでいるが。 いつも露出計を持っていて、光量を測ってから撮影しているのだけれど、測光せずに撮った写真の露出の方が普段の写真に近い気がしている。この中にも何枚か測っていないもの(曖昧な記憶だが)があるが、そういった写真の方が想定していた結果に近い。まだ露出計に慣れていないせいもあるだろうから、光が読めない場合は頼りつつ、機械的な数値と経験的な数値を近づけていくようにする。 そして、このカメラのおかげでやりたいことが見つかった。それをするために、この作業に1日か2日ブランクが空く可能性がある。もしくはもう1台、使い勝手の良いローライフレックスを探す。明日仕事が終わり次第、ラボに行って相談をしなければ。 ...

No.2 (Jan. 31st, 2019)

 ブローニーを即日現像してくださる写真屋さんを下北沢で見つけた。家から近いこともあり、この仕事に関しては全てお願いすることする。自分がひたすらに同じことを続けるのに、現像を頼むラボが毎回違うのはどこか違和感がある。 大学生の頃はよく遊びに行っていた街に通うことになるので、よく行っていた喫茶店でも、また行こうかと思う。7、8年前とは随分変わったが、駅の工事もまだしばらく続くだろうし、僕がこの写真を続けている間はある程度変化の過程を記録できるのではないかと思う。 しかし、2本目、ミスがひどい。1本目がきっちり写っていて安心したのか……被っていたり、多重露光であったり、素人のようである。まあこれも、デジタルでは味わえないので、楽しめればいいかなと思ってはいる。ただ、もし作品撮りで使うのであれば、分かってはいたが、三脚が必要だ。 展示のためのホームページ、DMの作成が昨日ようやく終わり、今日から告知とプリント製作が始まる。今日はこれからラボでプリント、マットについて相談をし、ガーディアンガーデンでトークイベントを聞きつつ告知をしてきます。 それと、タイトルは   No.x [フィルムの数] (撮影日)になっていて、ホームページにアップロードした日付はタイトルの上に表示されるようにしたので、追記しておく。 ...

no.1 (Jan. 31st, 2019)

 新宿で一番安いローライフレックスを買う。カメラでこれほどの不自由を感じたことはないくらいにファインダーが曇っていて、ピントを合わせるために時間がかかりすぎる。立ち止まって目を凝らすしかない。 写るかどうかも不安な外見をしているので、とりあえず期限切れのポートラを入れる。せっかくならニエプスよろしく庭でも撮りたかったが、自宅がマンションの一室なので、仕方なく窓の外の風景を撮る。前述した通り、ピントの山がつかみ辛いせいで、慣れるために最短から無限遠まで何度か往復する。 ルールは大雑把に設定をする。あまり細かく決めてしまうと手間になるので、とにかく続けることを目標にする。始めるにあたり、取り敢えず2つ設定しておく。また、何かルールが追加される際は、その都度書き加えていく。   1,このカメラが壊れるまで、1日最低1枚撮影する   2,セレクト、トリミング、露出補正はしない    (スキャン時にコントラストはあげているが、一律) 目的は特にないが、ひとつ言葉にしておくのならば、やらなければいけないことを作ること、というようなネガティブなもので、ひどく個人的な羅列になってしまうかと思う。文章を書いたり、何か考えるためのきっかけのためではないため、写真のみの記録になってしまうことも多くなるだろう。これから増えていくこれらの写真は、何かを伝えようなどという気は全くなく、ただただ自分のために撮影していくので、特に何かが生まれたり、作品と呼ばれる類のものでは決してないため、何かを読み解こうだとか、感性を働かそうだとか、そういった努力からは解放されて見て欲しい。何も見つからないことを許して欲しい。 初めのうちは、新しいおもちゃを手に入れた子供のようなもので、シャッターを切る回数が多くなるだろう。しかし、僕はそもそも個人的記録を作品にするタイプではないので、時が経つにつれて苦しくなってくるはずだ。苦しくなって初めて、このような記録を続けることに意義を見出せる可能性があると信じ、壊れるまで続けようと思う。 ...